「人の数だけ“正解”がある」
こんにちは。
青柳です。
先日カレーを食べるときに、カレールーの中にライスを入れるか、ライスにカレーをかけるかという話になりました。
今まで僕は、ライスにカレーをかけて食べていたのですが、一緒に食べた人は逆。
理由を聞くと、「ライスのお皿にもカレールーがついて、洗うときに手間がかかるから」とのこと。
なるほど、そんな考え方があるのかと、ちょっとした驚きと納得がありました。
ちなみに、僕は特に理由もなく、おそらく自分の頭の中にある“カレーのイメージ”だけで、ライスにカレーをかけて食べていました。
そして、この日以降はカレールーの中にライスを入れて食べるようになりました。(笑)
「誰にとっての正解?」
この何気ない出来事をきっかけに、改めて感じたことがあります。
それは、「正しさ」って本当に人それぞれだということ。
ある本で出会った言葉が、今も頭の中にずっと残っています。
それが、「日本だけでも1億通りの“正しさ”がある」という一文。
たとえば誰かが「それ違うよ」と言ったとき、また自分が「こっちの方がいい」と感じたとき。
その判断の背景には、「誰にとって?」「何の目的で?」という問いが隠れているように思います。
ついつい、「正しい/正しくない」という二択で考えてしまいがちですが、実際には、“正しさ”のかたちは人の数だけ存在していると思います。
ある人にとってのベストな選択が、別の誰かにとっては違和感に感じられることもある。
だからこそ、自分の意見を伝えるときは、「僕はこう思う」とか「自分にはこのやり方が合っている」という、自分軸の言葉が大事なのかなと。
僕自身の「こう思う」も変わっていくと思うし、その時その瞬間で“正解”は変わるものだと思います。
僕なりの発信の意味
これまでに経験した出来事や、心が動かされた瞬間を、少しでも多くの人にシェアしていきたいと思っています。
その共有によって、誰かが気づきを得たり、小さな変化のきっかけになったりすることがあれば、それだけでもすごく嬉しいです。
そしてふと、僕が大好きなスケートボードのことが頭に浮かびました。
スケボーも、“正解は無い”と思っています。
同じスポットで滑っても、スケーターによって見え方や感じ方が全然違う。
トリックチョイスやアプローチも、それぞれのリズムやセンスが表れていて、とても自由です。
まさに「人の数だけスタイルがある」カルチャー。
こうして生まれたアイデアを共有することで、他人の視点が自分の感覚を刺激したり、まったく新しい表現のヒントになり、次のアクションや創造へと繋がっていく。
刺激的で、僕にとってはとても理想的な世界です。
最後に
人それぞれが持っている“正しさ”。
その考え方や価値観は多様で、誰かと完全に一致することのほうが稀だと思います。
でも、それを否定せずに認め合う。
違いを受け入れ、ときに調和させながら一緒に進んでいく。
そんな姿勢が、僕は大切なのではないかなと思います。
反対に、「これは間違っているんじゃないかな」と思って、なかなか発言や行動ができないときもあると思います。
そんな時は、「他の人と違った意見で当たり前なんだ」という気持ちで、一歩前に出てみてはいかがでしょうか?
2 コメント
> Bashikun 様
展示会お越しいただきありがとうございました!
近々ご飯もいきましょう!
固定概念があると、正解・不正解の考え方になっちゃいますよね(><)
自分も気をつけるようにしてます!
ちょっと脱線しますが、「アドラーの心理学」おすすめ本です(^^)
もしかしたら読んだことあるかもしれませんが!m(_ _)m
いつも共感していただき、とても嬉しいです!
励みになります💪
青柳伸
先日は展示会にご招待いただき、ありがとうございました!
僕も先日「正解とか不正解に縛られるから、イライラしたり、悲しくなるんだな」と思うことがありました…!
どんな考え方であろうと、認める様に意識して、
正解・不正解の世界から抜け出す!
例え相手が正解、不正解にこだわろうと!関係ない
自分はその考えで生きるように意識しよう!!
そう思いました!
その方が人に優しくできて、自分も自由に、楽しく生きられるかもなって、考えてました!
(ちょっとした出来事だったのに、無駄に考え広げてしまい…笑)
青栁さんのコラムには、いつも共感します!
(さすがです!)
これからも、コラム楽しみにしてますね!!
Bashikun
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