送料無料まであと¥11,000

コンテンツへスキップ

カート

カートが空です

「何もしない方が怖い」吉田松陰に学ぶ

こんにちは。

青柳です。

先々週のコラムで、「次は吉田松陰について書きます!」と言っておきながら、先週すっかり忘れて普通に別テーマを書いてました。

なので今回は、ちゃんと吉田松陰について。


昔から好きなんです感を出してますが、今年の初めに吉田松陰の本を読んでから好きになった、まだまだ浅い知識の分際でございます。


まず、吉田松陰について軽く説明すると、幕末の思想家・教育者です。

年表でざっくり振り返ると、

======

・1830年(0歳)
長州藩(現在の山口県)で生まれる。

・1842年(12歳)
叔父さんが松下村塾を開き、吉田松陰も入塾する。

・1851年(21歳)
脱藩し、身分を取り上げられる。

・1854年(24歳)
ペリー来航の際、黒船に忍び込み、アメリカへの渡航を直訴。そして捕まる。

・1855年(25歳)
牢屋から解放。

・1857年(27歳)
松下村塾を引き継ぎ、授業を始める。

・1858年(28歳)
幕府批判や倒幕思想を危険視され、再び牢屋に入れられる。

・1859年(29歳)
江戸で処刑される。

=====

という、かなり濃い人生。

濃いというか、僕の今年のテーマでもある“行動力”が異常なんです。笑

有名なのは、“脱藩”と“黒船への忍び込み”のエピソード。





まず脱藩。

当時は、藩の許可なく外へ出るだけで死罪になるほどの重罪でした。


肥後(熊本)の親友と共に、水戸へ視察旅行に行く約束をしていた吉田松陰。

ここでトラブル発生。

他藩を旅するために必要な通行手形を申請していましたが、出発日までに通行手形の用意が間に合いませんでした。

ですが吉田松陰は、「親友との約束は破れない。」という理由で脱藩します。

今でいうと、パスポートなしで海外へ行っちゃう感じです。

男らし過ぎます。

しかも結果、身分を取り上げられます。笑





黒船への忍び込みでは、ペリーの黒船を見た吉田松陰は、圧倒的な軍事力を目の当たりにして日本の現状に強い危機感を抱き、「自ら海外へ渡って西洋の知識や技術を学びたい」と思いました。

そこで小舟で黒船へ向かい、「アメリカに連れて行ってください」と直談判します。

漫画みたいなエピソード。笑

もちろん断られ、普通に捕まります。笑


このようなエピソードが他にもあって、ただの無鉄砲な人にも見えます。


が、僕の捉え方としては、「失敗が怖くない人」というより、“何もしない方が怖い人”だったんじゃないかなと。



人間だれしも怠け癖があるし、新しいことに挑戦するには、それなりの根気と体力が必要です。


動かない理由をつくるのも、人間は得意。

忙しいとか、タイミングとか、まだ実力不足とか。

めちゃくちゃ理解できるし、僕もめちゃくちゃそうです。笑


「あの時もっと〇〇に対して全力で取り組んでたらよかったな」とか、
「なんで昔もっと〇〇してなかったんだろう」とか、
あとから振り返って後悔することって、絶対あると思います。



吉田松陰の半生を見てると、絶対に予定調和通りには動かず、自分の信念に基づいて、覚悟を持って行動し続けた人なんだろうなと思いました。


29歳で処刑されてますが、きっと後悔はなかったんだろうと、勝手に思いました。


こんなエピソードばかりだと破天荒な人物という印象ですが、松下村塾の門下生には、初代内閣総理大臣の伊藤博文や、幕末長州の風雲児・高杉晋作など、日本を大きく変えた人物たちがいます。

熱い信念には、やはり人の心を動かす力があるんだなと思います。


ちなみに、今年の頭に読んだ本がこちら。






吉田松陰が生前に遺した熱い言葉の数々が記されています。


めちゃめちゃやる気が出る言葉ばかりなので、5月病の皆様におすすめです。笑

コメントを書く

このサイトはhCaptchaによって保護されており、hCaptchaプライバシーポリシーおよび利用規約が適用されます。